気まぐれ日記 03年5月

03年4月分はここ

5月2日(金)書き手が読み手になると・・・の風さん」
 ようやく執筆に追われない日を過ごせるようになり、これまで気になっていたことに手をつけている。
 何といっても、未読の書籍が膨大にある。どれから読み始めたものか、本当に迷ってしまう。
 昨日から、秋月達郎著『マルタの碑(いしぶみ)』(祥伝社刊)の続きを読み始めた。第一次世界大戦中にあった、本当の話が題材になっているこの作品は、恐らく秋月さんの代表作の一つになると思う。地中海のマルタ島まで遠征した日本海軍の若き将校らの青春ドラマなのだが、当時の日本軍の清々しいまでの戦いぶりが描かれていて(私は決して軍国主義者ではないが)、日本人の誇りや当時を含めて遠き祖先への畏敬の念を抱かざるを得なくなる。
 時間や空間を異にすると、正は邪になり、常識は非常識になる。もちろん、その逆も起こる。戦争など、その典型であろう。そういう場面においても、人間がいかに人間らしく生きたかが重要なのであって、ただ犯罪や極悪非道を犯したものを悪と断罪するだけでは、当時の人々は全員悪人になってしまう。
 戦争の中にないという意味での平和なこの時代でも、たとえば、不況というひと言で片付け、時代が悪いとか、政治が悪いと単純に片付けてしまったのでは、そういう時代の中でも、懸命に正しく生きている人々を見逃すことになる。小説家は、フィクションという手段を用いて、そういう人物にも光を当てていく。過去を舞台にすれば、それは歴史小説や時代小説となる。
 長谷川伸先生の残された名作『日本捕虜志』(中公文庫)は、日清、日露の戦争当時の、日本軍部の捕虜に対する処遇を、武士が騎士を遇するがごときであったと描いている。先生は、こういった作品を「紙碑」と呼ばれたそうである。当時、自費出版で出された『日本捕虜志』は、第4回菊池寛賞を受賞され、先生の代表作の一つに加えられた。
 秋月さんの『マルタの碑』は第一次世界大戦初期の物語であるが、長谷川先生の『日本捕虜志』に描かれた時代とまだ同じ気概が日本軍部にあったことが分かる。そういった背景の中に青春ドラマを重ね合わせたのは、まさに秋月さんならではの視点であり、彼の最も得意とする人間描写である。やや時代がかった文体や漢字の選択も、当時の雰囲気と若者の横溢する情熱を表現するのに効果を上げている。秋月さんが『マルタの碑』で「紙碑」を残されたことに拍手を送りたい。

5月3日(土)「入場する前にアトラクション(?)・・・の風さん」
 2年半ぶりの正月休みとゴールデンウィークの最後は、ワイフと行くUSJである。いちおう結婚20周年という触れ込みだが、なんのことはない、私が行きたいだけだった。
 多忙なワイフを無理やり誘ったので、とんでもない日に設定してしまった。電車もホテルも予約するのが大変だった。しかも、すべてバラバラでセット料金といった割引は一切なし。
 自宅を出たのは7時過ぎで、名鉄からのぞみ、阪神電車と乗り継いで、ユニバーサルスタジオ駅に着いたのが10時過ぎ。既に入場制限がされていた。手荷物を預け、チケットカウンターへ並ぶ列はゲートまでぎっしり。ここを通過するのに、なんと1時間。これじゃ、チケット予約の意味がない。真っ青な空を何度も仰ぎながら、「これが今日最初のアトラクションだ」と自分に思い込ませようとしたが、やはり無理だった。
 昨秋、ハロウィーンの季節に職場旅行で訪れた時は、それほどの人出ではなく、町並みもゆっくり鑑賞でき、どちらかというと大人向けのアトラクションとあいまって、また来ようと心に決めたのに、今日は、人酔いするほどの雑踏だった。
 ショッピングと飲食を間にはさみながら、なるべく待ち時間の少ないアトラクションやショーを中心に見て回った。順番に書くと、ウォーターワールド(前夜ビデオを見ておいたので面白かった)、アニマルショー、ワイルドワイルドなんとかショー、バックドラフト、ターミネーター、ジョーズである。ターミネーターを見終わった時点(午後8時半)で、既にバックトゥーザフューチャー、ジュラシックパーク、ETなどがclosedになっていた。日が沈んでも帰らぬ観客が多く、待ち時間はなかなか短縮されなかった。
 無理やり連れてきたワイフは、やはりディズニーランドの方がお気に入りで、ターミネーター、ジョーズは怖かったとのこと。結局、お土産の買い物のときが一番元気だった。ま、仕方ないか。
 USJの中でもひたすら飲食していたが、午後9時半に外へ出て、最初に見つけた中華料理店で遅い夕食にした。とっても変てこなレストランで、入り口で行き先を告げないとドアが開かない。店内は本場中国のように雑然としていて、信じられないことに、足漕ぎ式の天吊りモノレールに乗った奇怪な男が、客とふざけたやりとりをしながら店内を回る。さすが大阪らしいえげつなさで、でも、料理は工夫されていて実に美味かった。

5月4日(日)「お休みが終了の巻」
 昨夜の就寝は遅かったが、今日は帰ってからも用事があるので、7時過ぎに起床。
 ホテルの朝食はお決まりのバイキングを選択した・・・が、ここのは(どこかは伏せておく)食材も味も一級品だった。もっとも料金は2000円である。例によって、いろいろな種類の食品を皿に盛って、まるで試食のように食べ比べするわけだが、どれもこれも美味かった。
 交通の便がやや悪いので、ホテルから一気にタクシーで新大阪駅へ向かった。空はどんよりと曇っており、これが昨日だったら、とうらめしく思う。日に焼けた腕が目立つ。
 こだまと名鉄を乗り継いで、帰宅したのは12時半過ぎである。
 ひと片付けして、わざとミッシェルをオープンカーにして、半田にある半六邸へ向かった。ここは、秋月達郎さんが中心になって、歴史ある建築物を復元しているもので、今日は、「端午の節句と近代のきもの」展が開催されているため、それを見学がてら久しぶりに秋月さんに会いに行ったのである。
 半田の中心部とは言いながら、時の流れのエアポケットみたいな一角で、車などで動き回っている人が偶然立ち寄れる場所ではない。ほとんど鬱蒼とした草木や土に埋もれていたのを秋月さんらが、3年がかりで(今も)発掘・復元している旧家である。昭和初期の懐かしい空気が充満する中で、久田流のお抹茶をいただき、武者人形や衣桁にかけられた着物をたくさん見物した。昨年のイベントでは二日間で1200人もの来場があったという。
 秋月さんら半六倶楽部の人たちだけでなく、秋月夫人もお手伝いで活躍されていて、胸の中が温まる思いがした。
 今日は、秋月さんのルーツである、稲生重政にゆかりの鎧兜や関が原での戦利品(槍や杖)といった貴重な宝物も展示されていた。誰にも先祖はあるが、秋月さんのように400年以上もさかのぼることができるというのは、すごいことだしうらやましい限りである。秋月さんが仕事をしていた東京を引き払って出身地へ戻られたのも、これで納得できた。
 帰途、買い物をして自宅へ戻ったが、疲れがどっと出てダウンしてしまった。
 2年半ぶりの正月気分とゴールデンウィークは、とてつもない満足感と疲労の中で終わった。

5月5日(月)「とんだおまけの休日・・・の風さん」
 今日から会社だと(100%思い込んで)6時に起床した。昨日までの後遺症で足は痛いけれども、気力はみなぎっていた。・・・しかし、ちょっと気付くことがあって、念のために会社のカレンダーをチェックしたら、な、なんと、今日までゴールデンウィークだった。バカと言われようと、大ボケと言われようとかまわない。天が与えたもうたおまけの休日である。うれしい。感謝、感謝である。
 ここでまたベッドへ戻って寝てしまうと1日が短くなってしまうので、そのまま起きて、1日をゆっくり時間を使って有効活用することにした。今日もさわやかな陽気である。
 朝食後、すぐにやるべきことに着手すると際限なくなるし、疲労も早まるので、『マルタの碑』の続きを読み始めた。500ページ近い大作なので、私として精一杯の速読でも途方もなく時間がかかる。1時間半くらい読み進んだところで、早くも疲れてきた。仕方ない。少し早いが、休養をとるための仮眠である。・・・と、これが爆睡になってしまう。
 昼過ぎに起きたが、たまっていた疲労の重さと深さを再認識する。少なくともトレーニングに行くパワーはない。
 午後、事件は起きた。
 うちの飼い猫シルバーが玄関で何かごそごそやっている音がする。玄関には彼のトイレがあるので、用を足しているのかもしれないが、ワイフは普通でないと判断し、様子を見に行った。直後、悲鳴。「何よ、これ?!」
 ガチガチに固まった体を玄関に運んで、ちらりと玄関の床タイルの上を見ると、何やら黒い点々がびっしりと覆っていて、ざわざわと蠢いている。
 羽根アリの大群だった。
 すぐに次女が「殺虫剤でやっつけたら」と言うので、ハエ用の殺虫剤を使ってシューっとやったら、あっけなく死んでいく。
 結局、こういうことだった。
 玄関にある下駄箱の下の壁が板になっていて、その裏側は浴室の床下になっている。下駄箱の下の板壁に孔がいくつか開いていて、羽根アリはそこから出てきたのだ。恐らく、昨年の同じ頃にどこかで発生した羽根アリが、我が家の床下へやってきて、そこへ巣を作った。羽根アリの中から女王アリが誕生し、たくさんの卵を産んだ。その卵がかえり、おびただしいシロアリとなって、我が家の床下から板壁を食い破った。そして、シロアリは同数の羽根アリに変態し、次の繁殖地を求めて飛び立つため、薄くなった板壁を食い破り外へ出てきた。そこは我が家の玄関のタタキだったわけだ。羽根アリは黒い行列となって外を目指し、ドアの下までやってきた。一部は外へ脱出していたが、飼い猫シルバーの知らせで、家人らに発見されたというわけだ。殺虫剤によって2次災害は防止できたと思われる。
 防蟻処理を施したのは3年前で、10年保証である。今回は、その処理が不完全だったことの証明である。さっそく業者へ連絡をした。この羽根アリの巣立ちがUSJ旅行で不在の時でなかったのは、不幸中の幸いである。
 明日からサンルームの改築工事も始まるのだが、同時期、シロアリに食われた板壁などの修理と防蟻再処理がなされることになりそうだ。
 とんだおまけの休日である。

5月7日(水)「泣きっ面にシロアリ・・・の風さん」
 昨日からサンルームの工事が開始され、元のサンルームは撤去された。同じ日に、玄関で発生したシロアリ駆除の専門家が現場確認にやってきた。ひと目見て、「うっわあ〜。こりゃ、いかんわ(当地の方言)」って、おいおい、防蟻処理をやったの、あんたの会社だぜ。その会社もちゃっかり保険に入っているらしく、10年保証で500万円を限度に修理してもらえる。当然か。ま、とにかく、昨日は帰宅が遅くなり、就寝も遅くなって不愉快だった。
 で、一夜明けた。
 雨が降ったり止んだりの日である。何となく、何か起きそうないやな予感。
 会社では蒸し暑くてイマイチ根性が出なかった。昼休みにインターネットでシロアリの生態についてチェックした。
 うちのイエシロアリの巣には女王と王のペアが一対と恐らく副女王、副王のペアが数対、兵隊アリが数万匹と働きアリが数十万匹いるらしい。女王の寿命は10から15年で、一生の間に数億個の卵を産む。シロアリが羽根アリになって飛散するのは、毎年5月から7月の湿度の高い午後とのこと。羽根アリは雌雄がペアになって新たな繁殖地を求めて飛び立つ。そこへたどり着くと、羽根アリのペアが新たに女王と王になったりする。この連鎖はまさに悪魔の連鎖で、終わることがない。シロアリはアリに似ているが、やはりずっとゴキブリに近いそうだ。羽根アリになる前は太陽光に弱く、奴らには目がない。しかし、何でも食う大食漢だ。もちろん一番の好物は木のセルロース。他に、アリとの違いがあれこれと解説されていた。代表的なページ3枚をアシュレイに保存した。
 やはり今夜も帰宅が遅くなり、有料道路を出たところの料金所で支払い終わったら、な、なんと、パワーウィンドウが閉まらなくなった。前から、いやなギヤー音がしていたのだが、とうとうスリップ音に変わり、ウィンドウが上下しなくなった。閉まったままならまだ良いのだが、全開状態でいかれたのだ。くそう。
 帰宅してワイフに報告したが、真剣に同情してくれない。おかしいと思っていたら、家でもいやな事が起きていた。昨日元のサンルームを撤去し、今日は周辺のウッドデッキを改造する前に点検した。そうしたら、なんと、ウッドデッキもシロアリの餌食になっていたのだという。ワイフいわく、「今日だけで、10万匹のシロアリを見たわ」だって。
 昼間インターネットで入手したシロアリの生態に関するページを、アシュレイを立ち上げてワイフに見せた。
 恐怖は募り、明日来る予定の防蟻処理業者に徹底的に調べてもらうことで意見が一致した。
 こうしている間も、床下ではシロアリが我が家を食い、車庫では、ミッシェルの運転席側の窓は全開で、悪霊でも飛び込まないか、すごく心配である。

5月9日(金)「最近の不調は阪神タイガースの連敗のせい?の巻」
 昨日は雨だったので、ミッシェルでの出社は断念。久しぶりに電車通勤にした。朝はなんとか1時間20分で会社にたどり着いた。問題は夜で、最初の乗り継ぎ駅に停まらない快速に乗ってしまい、だいぶ通り越してしまった。そこからまたとんぼ返りして乗り継ぎ駅で降りたら、乗り換え電車が出た直後で30分待ち。やっと来た電車に乗り、終点まで行き、そこから徒歩で700m歩き、次の乗り継ぎ駅にたどり着いたら、また乗りたい電車が出たばかりだった。結局、最後の停車駅までワイフに迎えに来てもらい、帰宅したら、会社を出てから2時間経過していた。
 シロアリの被害の修理に、昨日は大工は来なかったそうだ。
 運の悪い時は重なるものである。
 一夜明けて、起床。朝刊を見てみると、阪神タイガースが連敗していた。強い時の阪神ファンの風さんは、朝っぱらから不吉な予感がした。(負け出すととまらないもろさも魅力ではある)
 昨日の雨は上がったので、ミッシェルのパワーウィンドウを修理してもらうために、購入先の中古車屋へ直行した。朝の空気はまだひんやりする。運転席側の窓が全開ということは、当然、寒い。ヒーターを入れながら、有料道路を時速百キロで突っ走るのは乙なもんだ(って、負け惜しみか)。
 車を預けて、代車を借り、会社へ向かっている途中でケータイが鳴った。ドアを分解してみたら、中はぐしゃぐしゃだったそうだ。部品を交換しなければならないので、完成は明日になるという。やれやれ。
 会社の仕事は超多忙で、CDで現金を引き出すことや、出版社にその後の進捗を電話で尋ねることなど、すっかり忘れて早くも夜になってしまった。へとへとになって退社し、帰宅したら、今日も9時を回っていた。
 今日も、大工が来ていないという。大工は来なかったが、ネット注文した本が届いていた。今回の長編で参考文献のひとつにした本である。愛知県図書館から長期間借りっぱなしにしていた本だ。包みを開けて、本の奥付を見てびっくり。1978年出版の本だった。つまり25年前の本である。よくこんな骨董品みたいな本が入手できたものだ。・・・しかし、うれしい。
 さて、阪神タイガースの連敗は止まるだろうか。

5月10日(土)「拙作が高校入試で使われた本当の理由は・・・の風さん」
 今年の気まぐれ日記の中で、『円周率を計算した男』の一部が高校入試に使われていたという話をした。
 その続編である。
 今年度の入試でも『円周率を計算した男』の一部が使われたという連絡があった。前回は冒頭部分だった。今回は、もう少し後ろの部分で、建部賢弘が関孝和の自宅を初めて訪れた場面である。二人の心理描写を様々のテクニックを駆使して描いた部分で、その線に沿った設問が並んでいる。国語教師の問題作成意欲を掻き立てたのかもしれない。
 使用した高校は今回も私立高校で、中学からの英才教育を標榜(ひょうぼう)している。入試合格者の上位80名ほどを特待生として、東大や各大学の医学部合格を目指すとしている。実際、この高校があるS県内では、11年連続東大合格者数私立高校トップとホームページに書かれていた。こういった進学校の入試問題に使用されたというのは、面映い思いがある一方で、私の作品というのは、もしかすると知的な要素が強い(つまり一般読者には読み解きにくい)のかな、と反省もしてしまう。
 さて、昨夜の阪神タイガースは、3者連続ホームランという18年ぶりの快挙も見せて、連敗から脱出した。

5月11日(日)「天才数学者とは・・・の風さん」
 今日の朝刊をぱらぱらめくっていたら、「ウォルフ賞を受賞する京都大学名誉教授、佐藤幹夫さん」という写真入の記事が目に飛び込んできた。ウォルフ賞というのは、イスラエル版の数学分野のノーベル賞とのこと。佐藤先生は超関数の生みの親で、世界的な数学者である。
 私が3年ほど前に『算聖伝』を書いているとき、数学の天才とはどういう人物をいうのか知りたくて、何人かの数学者に手紙やメールで質問してみた。主人公の関孝和の人物造形のために必要だったからだ。凡人が思いつく数学者は、やはり異常性格者のような人物像で(つまり変わり者)、本当のところは想像もつかなかった。やはり、数学者の方も異常な行動をとる人を天才とは呼ばないようで、普通の、しかし様々の人物像を挙げていた。その中に、日本人で天才数学者といえばこの人、と佐藤幹夫先生のお名前が出てきた。無知な私は先生のお名前を知らず、日本評論社の知り合いの編集長に佐藤先生に関する資料を求めたところ、「数学のたのしみ」NO.13を送ってくださった。サブタイトルが「佐藤幹夫の数学」で、特集号になっていたのである。その中に、佐藤先生の言葉が載っていた。「夜、数学を考えながら寝て、朝、起きたときには数学の世界に入っていなければならない。自分の命を削って数学をやるくらいでなければものにはならない」数学者が認める数学の天才は、大変な努力家であったのだ。私が造形した建部賢弘と通じるものを感じた。
 また、同書の中から、佐藤先生が京都大学の数理解析研究所におられたときの門下生「佐藤スクール」の中に河合隆裕先生のお名前も発見した。河合先生は、拙著をご覧になり、わざわざお手紙を下さった先生で、現在も京大の同研究所におられる。毎年、研究所の論文集を送ってくださる優しい先生だ。
 結局、『算聖伝』のときの天才数学者のイメージは、御茶ノ水女子大学の藤原正彦先生が書かれたインドのラマヌジャンのイメージ、すなわち美しい自然を見て育った数学者が天才になる、という着眼を拝借することにした。関孝和が駿河湾の見える土地の商人の家で少年時代を過ごしたという平山諦先生らの仮説とだぶらせたのである。
 種明かしをすればそういうことだが、そのときに知った佐藤幹夫先生が今も75歳でお元気で、大きな賞を受賞されたというのは素晴らしいニュースで、私もうれしい。

5月12日(月)「前門のシロアリ、後門のゴキ・・・の風さん」
 久々に帰宅は午前様だった。明日の早稲田大学出張のために、事前に論文をまとめてメール送信する必要があったからだ。ほとんど部下がやったのだが、さっさと先に帰るわけにはいかないので、コンビニでお菓子を買ってきたりして、部下の気力が続くようにサポートしていた(ホンマかいな?)。
 帰宅してすぐ入浴し、それからゆっくり晩御飯を食べ出した。そのとき、ワイフからびっくりニュースがあった。食事しながら聞く話題ではないが、とても重大なニュースである。一昨年より以前、台所にあるワゴンの下にゴキを捕らえる罠(粘着シートを敷いた紙のハウス)を仕掛けてあり、それを今日チェックしてみたら、チャバネゴキブリが2匹も入っていたという。当家始まって以来、初の収穫である。ついでに、可哀そうにも益虫であるクモが1匹捕まっていたそうで、これには合掌。我が家ではクモは保護動物のひとつである。それはさておき。
 このゴキの罠であるが、ひと箱に6個ぐらい組み立て式のが入っていて、私は子供らに名前を書かせて、それぞれ好きなところに仕掛けさせたのだった。当然、私も名前を書いた。そのとき、もしゴキが引っかかったら、1匹につき500円の懸賞金を与えることまで宣言していた。最初の年には、どの罠にも1匹も引っかからず、そのままにしてあった。今回の罠が誰の仕掛けたものだったのか、ワイフはさっさと捨ててしまったので、確認のしようがない。もはや時効である(大笑)。とはいえ、引っかかる間抜けなゴキがいることが分かったのは収穫かもしれない。
 待てよ。昨年、超音波や電磁波のゴキキラーを購入してセットし、そのままにしてあったぞ。この機器が働く前に2匹とも罠に引っかかったのだろうか、それとも機器を購入した後、のさばり出てきたゴキが罠に引っかかったのだろうか。
 異常なまでにゴキを嫌悪する私なので、あれこれと対策を打っていても、それぞれ効果を発揮しているのかいないのか、さっぱり分からない。ゴキよりも間抜けな当家の主は、その隙に、シロアリに寝首を掻かれる始末だ。

5月13日(火)「作家と読者の邂逅(かいこう)・・・の風さん」
 今日の東京出張のための新幹線の指定席は、昨夜、ケータイを使って予約した。実は大変苦労した。上りの「ひかり」がほとんど満席状態なのである。結局「のぞみ」にしたのだが、部下に話すと、部下は先週の金曜日に指定をとろうとして、既に同じ状況で、部下も「のぞみ」しかとれなかったのだそうだ。
 危機感を募らせた私は名古屋駅で、15日の新鷹会のための切符確保に挑戦してみた。すると、同じく「ひかり」は一杯で、結局、今日と同じ「のぞみ」で上京することになった。帰りの下りは指定席がとりやすいのに、どうして上りだけが難しいのだろう。よく分からない。人口が東へ移動しつつあるのか(まさか)。
 こうなったら来月の新鷹会、長谷川伸の会の切符は早めにとろうと思う。
 早稲田大学での仕事は非常にうまくいった(うれしい)。
 夕方、時間ができたので、新橋駅の近くの出版社に勤める友人を訪ねた。初めての訪問である。彼は編集部の部長で、3人の部下に私を小説家として紹介してくれた。その中に、『円周率を計算した男』を読んでくれた人がいて、先方も原作者に会えて驚き喜んでいたようである。来週末ごろ新作が書店に並ぶと教えたら、「必ず買います」と言ってくれた。うれしいけれども、散財になるので、気の毒でもある。私が帰るころは、そこも退社の時間帯で、お茶を出してくれた受付嬢は、席でカップラーメンを食べてから意気揚々と社を後にして行った。
 帰りの「ひかり」は空いていて、アシュレイとケータイを使って、日頃出せないメールをじゃんじゃん送った。

5月14日(水)「我が家は天中殺か・・・の風さん」
 出勤しようとしていたら、長女を駅まで送っていったワイフが、顔色を変えて帰ってきた。駅前で追突されたという。
 昨年の12月に私が追突されて、さまざまな教訓を残していたのに、今度はワイフが・・・と目の前が暗くなった。
 幸い加害者が良識のある人で、すぐに警察へ届け、修理費用などの全額負担を申し出てきたので、話は早かった。相手が契約している保険会社からもすぐに電話が入った。
 とはいえ、ワイフのイプサムの修理はしなければならない。このイプサム、月曜日に車検が完成して受け取ったばかりで、また、修理工場へ逆戻りである。躊躇しても仕方ないので、早速予約の電話も入れた。
 すべての段取りが終わったが、一種の恐怖体験をしたワイフは、車の運転などまっぴらという顔をしていた。
 悪い時は悪いことが重なるものだ。今日は、ワイフはイプサムで昔の会社の仲間たちと昼食会へ出かける予定でもあった。イプサムもないし、運転する気力も失せている。
 結局、こうすることにした。私がワイフを昼食会の会場までイプサムで送り、ワイフを降ろした後、イプサムを修理工場へ持ち込む。代車を借りた私は、そのまま会社へ出勤。昼食会を終えたワイフは電車で帰る。
 この計画に要する時間はかなりのものと予想され、午前中は半日有休にした。
 元気のないワイフを乗せて、イプサムで家を出た。
 修理はおよそ1週間だという。なぜなら、イプサムはバンバーが脱落しかけていたし、後部のフレームが追突の衝撃で変形していたのである。バックドアも一部変形していた。
 衝撃は予想以上に大きかったのだ。相手は、しつこくワイフと同乗していた長女に医師の診察を受けることを勧めていた。ボデーの変形を確認してから、やはり相手の言うとおりにすべきと思った。
 夕方、ワイフと長女は近くの整形外科へ行ってきた。幸い何事もなさそうだった。でも、不調を訴えて人身事故にすると、相手は免停になるのだという。今回は、その必要はないだろう。夜、菓子折りまで持ってきて謝罪して帰ったそうだ。(帰りの遅い私はまだ帰宅していなかった)
 代車は日産のラシーンとなった。変てこな車である。
 忘れていたのだが、午後は製作所へ出張することになった。うちはトヨタ系の会社である。日産車での出張とは、ちょっと大胆と言えなくもない。が、ゴーン社長は私と同年齢で立派な人なので、まあ、いいだろう(って全然関係ないか)。変てこな車で遠くの製作所まで出張した。運転しにくかった。ちっともパワーが出ないんだもん。
 シロアリ、ゴキに続いて追突事故である。これを何と表現したらいいのだろう。

5月15日(木)「また傘を買っちまったぜ・・・の風さん」
 朝からぐずついた空模様だった。本当に、最近は晴天が長続きしない。新聞で東京地方の天気予報をチェックすると、夕方に向けて雨から曇に変わるように書いてあった。ワイフは折りたたみ傘を持っていくように強く言ってきたが、私は荷物が重くなるので、「いらない。大丈夫だって!」と却下した。
 火曜日と全く同じ名鉄急行、のぞみで上京である。
 幸い雨は全く降っていない。
 ところが、横浜に近づく頃から、窓外は雨模様となった。ヤバイ!
 結局、御茶ノ水駅近くの傘屋で、また傘を買ってしまった。ただし、今度は折りたたみ傘である。とは言っても、私専用の折りたたみ傘は、これで5本目である(バカ!)。
 新作の見本をもらった。上下2巻それぞれ装丁というか表紙のデザインが違う(できるだけ早くスキャナーで読み込んで、トップページに貼りだすつもりだ)。色も上巻は茶系で、下巻は青系である。いずれも明るい色柄だ。書店では目につきやすい感じがする。そして、上下巻を並べて平積みにすると、この存在感は相当なものだろう。なるべく長い期間陳列して欲しいものだ。
 勉強会へ合流したら、ちょうど6月27日(金)の長谷川伸の会の役割分担の相談をしていた。私は、昨年に続いて第1部の司会役だそうだ。昨年は全く知らずに出席して泡を食ったが、今年はちゃんと用意していこう。
 勉強会が始まる前に、さっそく見本を取り出して、仲間に宣伝した。やはり上下巻の迫力に皆息を呑んでいたようだ。問題は続けられるかだと思った。
 今夜中に帰るため、2次会へは出席せず、皆と別れて東京駅へ戻った。地下のレストランで軽く夕食をとってから、アシュレイとケータイでメールを送った。さらに、新幹線に乗ってからも、1時間近くメールの送受信をせっせとやった。最近慣れっこになったので、通路側の席だったが、平気である。老人性恥無知症でないことを祈る。
 今朝に続いて、2本目の短編小説も読んだ。
 帰宅してから、寝る前にワイフとワインで乾杯した。ワイフはこれから私の作品を初めて読むことになる。

5月20日(火)「教授デー・・・の風さん」
 長い付き合いの大学教授が私の勤務先にやってきた。
 彼は、私の勤務先に同期に入社した仲間でもある。入社して数年後、自らの可能性を探るため母校TK大へ戻り、その後、M大助教授を経て、現在は私の母校の教授である。ロボット工学の第一人者で、研究内容は世界トップレベルである。立派に自らの可能性を探り続けている。
 今日は、1日、私の勤務先で過ごしてもらった。午前中は人事部とOBで対応し、昼は次期社長と会食、午後は私がミッシェルで隣県の製作所まで往復し、工場見学をしてもらった。見学後は、臨時に人を集めて彼の研究分野のプレゼンまでやってもらった。大サービスの奮闘ぶりだった。
 夜は、同期入社の友人たちを集めて、本社近くで同期会を開催した。同じ職場に配属になったのは20人ほどだが、昨夜は14人も、年輪を増した顔をそろえた(秘密だが、この中に私のワイフもいた・・・って、これじゃ秘密じゃないか)。教授は精力的で社交的な男なので、本当は主賓のはずなのに、それぞれの席を回り、大いに身辺状況を語っていた。
 実は、同期の者たちは、入社23年でさまざまの職場に散らばっていて、会社に残った者たちにとっても貴重な同期会だった。
 帰宅後、同期会の余韻にひたりながら、私は深夜番組が始まるのを待っていた。NHK教育の「サイエンスゼロ」という番組である。今夜の特集は薄型テレビだった。日頃テレビを見ない風さんがなぜ熱心にテレビの前に陣取ったかというと、この気まぐれ日記に何度も登場しているOmO教授(彼の研究室にはまだホームページがない)が登場すると本人から連絡があったからである。
 気まぐれ日記の読者の方にも事前にお知らせしたかったのだが、あまりにも多忙でできなかった。ごめんなさい。
 OmO教授は番組後半の零時半ころ、電子ペーパー研究の第一人者として登場した。
 何度も繰り返し書き込んだり消したりできる「リライト機能を持つペーパー」といった研究内容の紹介だけでなく、本人がアップで出て、電子ペーパーの価値を落ち着いて語っていた。彼の着眼は、液晶ディスプレイのように装置に人間の姿勢を合わせる必要がなく、自由な姿勢で読める電子ペーパーは人に優しい技術だということだ。
 画面の中の彼は、昨年、この気まぐれ日記上でツーシーターバトルを展開した人物とは思えない風格だった。さらに恐るべきは、最近、彼のツーシーターは、富士スピードウェイでジムカーナのような走りをさせられているらしい。美人の奥さんに子供を5人も産ませ、家事にしばりつけているようで、これはちょっと違和感がある。
 とはいえ、親しい友人が大学教授として活躍しているのを目の当たりにした1日であった。

5月23日(金)「頚椎の痛みのツボを押してしまった風さんの巻」
 先週の土曜日に地元の図書館に新刊が出ることを報告に行った。館長と司書の方に会い、今回の作品の内容や裏話をし、また寄贈させていただく旨伝えた。それで目的は果たせたのだが、お二人からは図書館運営の苦労話をうかがった。開館1周年のまだピカピカの図書館でも、その世界の悩みというものはある。どういう話かというと、いかに利用者を増やして地域に貢献するかということだ。入館者の希望を100%かなえようとすると、人気の高い本を優先的に購入することになる。人気の高い本がすべて文化財として価値あるものなら問題はない。現実は必ずしもそうではないから問題となる。購入予算は限られている。図書館の使命として、利用者は少なくても、価値ある本を収蔵することも重要だ。特に地方図書館の場合、郷土資料は積極的に収蔵しなければならない。文芸書も長く残る作品は購入したい。ところが、そういった本を購入しようとすると、利用者のリクエストをある程度犠牲にする必要が生じる。
 いくら話題性が高く、人気のある本でも、一過性と思われる本は、図書館としては購入したくない。ところが、利用者で文句を言う人は、こういった本をリクエストしてくる確率が高い。書店に行けば山積みされているのだから、そんなに読みたければ、買えばいいではないかと私は思う。図書館の運営者にすれば、「うちは無料の貸し本屋ではありません」と言いたくなるらしい。一方で、利用客数が伸び悩んでいると、上の方から、「お前ら、何やってんだ」とお叱りの言葉が降ってくるとのことだ。
 結局、バランスの問題に落ち着くらしい。
 そんな話をうかがった後、ブラウジングで読書しながら、左手で左側頭部を何気なく押していたら、激痛が走った。そうである。2年半の執筆が終わったゴールデンウィーク明けから、非常に快調だった頚椎の痛みが、突然ぶり返したのである。どうやら「ツボ」か「秘孔」を押してしまったらしい。
 そのとき以来、左側頭部、首、肩、腕といった部分が、次々に痛くなって苦しんでいる。以前、医者にもらった薬を飲んでも多少楽になる程度で、完全には痛みは去らない。
 頚椎の痛みに加え、多忙な会社生活が続き、執筆を全くしていないのに、へろへろ状態である。
 一昨日、ようやく出版社から『怒濤逆巻くも』が100セット自宅に届いた。しかし、社内での販売を開始する余裕はまだない。そういう中、今日は、名古屋へ出張があり、そこで様々の業種の人が集まる懇親会があるので、前もってサイン本を3セットだけ用意して出かけた。頚椎の痛み、超多忙な会社生活と続いていたのに、今日は、この3セットがものの見事に完売できた。こういうこともあるのだ。
 知人の情報によると、大きな書店では、『怒濤逆巻くも』が、平積みでどーんと並んでいたそうである。
 へろへろの著者に関係なく、『怒濤逆巻くも』は船出したらしい。

5月24日(土)「最近何をやっているかというと・・・の風さん」
 会社の仕事のお話。実は、ある大きな学会賞の応募論文を部下と一緒に作成している。来週末が締め切りである。主執筆者である多忙な部下も、これまで主業務の合間を縫って準備してきたが、いよいよ締め切り間近となって、全力投入させている。昨今は、フレックス・タイムとかアクティブ・タイムとか呼んで、会社員の拘束時間に自由度が与えられている。管理職の私など、ややもすると24時間勤務か24時間糸の切れた凧状態になっているが・・・、おっと私の話はどうでもよかった。
 木曜日に久しぶりに部下と顔を合わせて、今後の作戦を練り、そのときの方針通りに動いている。
 昨日は私は出張で会社には顔を出さなかったので、部下の作成した論文がメールで私の自宅まで送信された。
 出張から帰った私が、そのメールに添付されていた論文を開いたのは、午前零時近かった。論文は量が多く、4分割されていた。その最初の4分の1を開き、本文の修正を始めたら、悪い癖で、夢中になってしまった。小説家というより作家の性(さが)であろう。文章にはこだわりたい。論文の書き方は知っているが、読みやすく分かりやすい内容にしたかった。加えて、昨日の出張先で聞いた講演で啓発されたこともある。その4分の1を修正し終わり、部下へメール送信したのが、明け方の4時過ぎだった。
 3時間の仮眠をして、部下との打合せ場所へ向かった。名古屋の某喫茶店である。
 持参のパソコン「アシュレイ」で修正論文を示しながら、私は論文の方向付けをおこなった。二人の部下も納得である。およそ2時間半の打合せを終えて、3人は別れた。主執筆者は自宅へ、もう一人は会社へ、私は自宅へ戻った。
 自宅へ戻ると、東善寺の住職さんから出版のお祝いということで、純米酒(大好物!)が届いていた。開けてびっくり。和紙のラベルは完全オリジナルで、住職の手になる「祝発刊怒濤逆巻くも上下、鳴海風様・・・」という雄渾なる筆跡!もう感激のあまり、両手で抱えて庭に出ていたワイフに見せに行った。
 昼食後、昨日受け取った論文4分の2に修正を加え、部下へメール送信した。
 それから地元の図書館へ向かい、予告通り『怒濤逆巻くも』を寄贈した。館長も司書もたいへん喜んでくれた。
 再び帰宅して、夕食後・・・どっと疲れが襲ってきた。危険きわまりないが、例によって居間のソファでごろん。
 ・・・爆睡。

5月25日(日)「やっぱり無理しているらしい・・・の風さん」
 いけねえ。もうすぐ7時だ!
 ベッドではなくソファから飛び起きた私は、シャワーを浴びてさっぱりすると、まっすぐ書斎へ。
 急いで、論文4分の3の修正に着手。部下から催促のメールも来ていた。とにかく、4分の3が完成したのが10時過ぎだ。メール送信して、やっと朝食。ワイフと改築中のサンルームの内装について相談していたら、また時間が矢のように過ぎていた。
 慌てて書斎へ戻り、論文4分の4に着手。二人の部下は既に4分の3までのリファインを終えているらしい。
 最後の部分4分の4の修正が終わったのが、午後2時過ぎである。これを部下へメール送信して、私は外出した。一つのことを始めると、そればかりに熱中してしまうので、勇気をふるってそこから離れなければならない。
 檀家になる約束をしている近所のお寺へミッシェルで向かった。ここの住職さんは読書家なので、いつも拙著を届けている。あいにく葬儀の真っ最中だったので、回れ右して、行きつけのガソリンスタンドへ向かい、給油した。続いて、体育館へ行き、今月やっと2回目のトレーニング。トレーニング後の血圧は問題なし。肥満度は−0.4%で、体脂肪率は20.8%。数値結果からトレーニング不足は否めないな。それから、再びお寺へ向かうと、葬儀は終了していた。住職夫妻から少し寄って行くようにと強く言われ、本堂横の庫裏へ上がった。いきなり住職から「寝不足のようですね」と鋭い指摘。初老作家が無理していることは、住職にはお見通しのようだ。『怒濤逆巻くも』の解説をしたら、非常に興味を覚えてくれたようだ。余暇にヨットをやっている住職が、最近、三島由紀夫の『潮騒』を読んだが、神島は干満差が激しくてなかなかヨットを着けることができないという。けっこう大きなヨットを所有しているらしい。私も『潮騒』のファンだ。神島には一度は行ってみたい。ここからそう遠くないのだが、鳥羽まで行かないと便船がない。いつものことで恐縮してしまうが、帰りにお土産をたくさんもらってしまった。
 帰宅してシャワーを浴びて、夕食まで読書した。最近は時間を見つけて読書するように心がけているが、なかなか読み進まない。
 書斎に戻ってメールチェックすると、二人の部下による論文修正は着々と進んでいた。今夜はもうあまり注文をつけないことにしよう。

5月28日(水)「視覚障害者の方のための鳴海風の巻」
 週が明けてからも超多忙が続いている。すべて会社の仕事である。『怒濤逆巻くも』が校了になってから、私の生活は明らかに不連続になった。
 その中で、部下の応募論文は、部下の頑張りで昨日峠を越えた。大学の先生のご指導も一段落したし、社内トップのご指導も一段落したのである。サポートしていた私も大満足である。
 この論文と同時並行で、担当業務の混乱が続いている。昨日は私用で名古屋へ出かけていたのだが、急遽呼び出しがあり、隣県の製作所へミッシェルで向かった。品質問題が発生したからである。こういったことには、私も何度か経験があるので、とにかく現地へ向かって対策メンバーに合流した。当初、少しは貢献できるかな、と思っていたが、なかなかの強力メンバーで、私などいてもいなくても同じだった(これは、ある意味で、良いことでもあるが)。
 結局、昨夜は、疲れた体と頭痛を抱えて夜遅く帰宅した。
 『怒濤逆巻くも』を相当数献本したので、あちこちからメールや葉書、封書を頂戴する。
 自身のホームページで紹介しましょう、と言ってくれる方もいれば、どこかへ紹介しますと言ってくれる人もいる。とにかくありがたい限りである。
 そのような中、久しぶりにヤフーで「鳴海風」と検索したら161件ヒットした。以前よりヒット数が増えている。
 国会図書館のあるページにも鳴海風という名前が出ていたので、クリックしてみたら、図書館員が紹介する点字本のページのようだった。200冊近い図書があいうえお順にリストアップされている。国会図書館に収蔵されている点字本のリストではない。その中に、『円周率を計算した男』があって、日本点字図書館に5冊ある、と書かれていた。これは特筆すべきことである(ちょっと自慢話になってしまうか)。他の図書も録音テープに起こされて、視覚障害者に供されている。先天的に視覚を持たない方は別だろうが、恐らく、私の文章が耳から入ったときに、鮮やかに映像になるからだと思われる。実際、私はそういう書き方を意識的にしている。たとえば、遠近感のある情景を描写する場合、説明せずにそれぞれの物体がどこに存在するのか分からせる、といったものである。技術屋ならではの気配りかもしれない。今まで気付かなかった方は、意識的に探してみてください。必ず発見できます。
 
5月30日(金)「出版業界に異変?・・・の風さん」
 昨日、ようやく社内の知人に新作刊行をメールで伝えることができた。同報機能を駆使したので、かなりの知人にご無沙汰メールにかこつけて新作を宣伝することができた。
 一夜明けて、その返信がぼつぼつ届き出した。「購入」の意思表示である。うれしい。
 既に私のホームページで『怒濤逆巻くも』発刊を知っている同僚は、近所の書店に走っていた。
 それによると、異変が起きていた。
 名古屋JR高島屋にある三省堂では、『怒濤逆巻くも』が1週間で完売していたという。勤務先のあるブックセンター名豊でも、最後の1セットが部下の奥さんに購入されてしまった。
 奇跡かもしれない。
 奇跡にせよ、売れているとするなら、やはり幕末物のせいかもしれない。幕末物は本の購買層である中年以降のビジネスマンの興味の対象の一つである。最近幕末物が決して多くはないので、いちおう目に入るのではないか。そして、帯のキャッチコピーを読むと、何やら珍しい単語が並んでいる。数学者、テクノクラート、蒸気軍艦国産・・・。ビジネスマンなら初物には関心を示すはずだ。「まだ知らない幕末があったのか・・・」
 ああ、奇跡でもいいから、そこそこ売れて欲しい〜。
 来週は社内での営業活動を頑張らねばならない。でも、上下2巻というのは、重いんだ〜。
 
03年6月はここ

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